料理を作ればサラリーマンのうつ病は治せる! 【不定期連載 第3回:私の職歴とうつ発症の事情(1)】
私は都内の某私立大学を卒業後、全国チェーンの流通小売業の会社に就職しました。1980年代当時、私も会社も業界もまだまだ若く、一部の取扱商品で「構造不況業種」と噂されるアイテムもありましたが、それでも全体としては新規カテゴリーもあり、業績もマーケットも右肩上がりが続いていました。コンサルティングセールスのスタイルでしたので、社員は気の良いお人よしタイプばかりで明るく優しく、楽しい職場でした。私も入社時は店舗での販売を担当していましたが、40歳を過ぎベテランとなり、本社で経営企画部に所属し部のナンバー2として、各種提案や社長や副社長のアシスタントなどをしていました。
まだリーマンショックが起きる前のある年、店舗数は100店舗を超え、売上高も過去最高を記録するほどの好業績で決算を迎えました。経営者も社員も、誰もが継続的な成長を信じていた時期でした。
ところがその翌年以降、競合他社に猛追され一気に売り上げがダウンする状況となります。都市部の駅前では優位を保っていましたが、好業績を下支えしてくれた地方のロードサイド店が、軒並みライバル店の新規開店に狙われ、過当競争から売上も粗利もダウン、あっという間に赤字店舗だらけとなってしまいます。
そうなると、取引先も銀行筋もとたんに態度を変えます。大手メーカーは新製品の初回配分台数を競合他社よりもあからさまに少なくします。新製品が売れなければ当然売上が一気に下がります。
そのうち弱小メーカーや大して売上のない問屋までもが買い掛け注文に応じず、現金払いか保証金を要求するようになります。それまでは、午後3時までに発注すれば翌日に入荷していたものが、1週間たっても入荷日未定となり、店頭では「予約」でしのいでいたものの、いつまでたっても手に入らないためキャンセルが続出。顧客離れに拍車がかかります。
メインバンクは、好決算の時はにこにこと接してくれましたが、業績悪化を聞きつけると、とたんに態度を変えます。(TVドラマであるような、あれです)
長期融資の繰り上げ返済を迫り、返済がなければ短期融資もストップすると脅しが入る。中期経営計画の見直しが指示され、決算は半期から四半期に短縮、やがて月次決算を要請、経営再建案の策定を迫るに至りました。つまり世にいう「リストラ」です。まず赤字店舗を閉めて、そこの従業員をできるだけ退職させる。ガン細胞のように広がる赤字をどこで食い止められるのか、時間との闘いが始まりました。
しかし閉店するにも当然お金がかかります。決算上の「特別損失」を払うための資金をどうしても借りなければなりません。しかしメイン以外の銀行は軒並み新規融資停止となり、いよいよ身動きが取れなくなる直前、メインバンクがファンド会社の紹介をするに至ります。
そのファンド会社が融資ではなく、当面返済しなくて良い資金を投資してくれます。つまり自社の株を買ってくれるということ、それはつまり「会社を売る」ことです。
銀行は会社がつぶれるのが怖いし、現状の貸付金がいつ返済されるか見通しが立たない。と言っても経営者=最大株主に、これ以上の資金はない。そこで、銀行の貸付金を肩代わりしてくれる会社を探してきたというわけです。
私のいた経営企画部は、何とかしてそのファンドに自社を気に入ってもらい、融資してもらう=会社を買ってもらわなければなりません。そうしないと、銀行取引が停止=会社がつぶれてしまいます。
私とチームは、毎日激しい焦燥感にさいなまれながら、残業して月次決算の資料を作り店舗別の長所となる点を絞り出し、「この地区は競合と互角以上に戦っている」とか「この店は今後業績が好転する可能性がある」とか「このアイテム分野に特化して競合店の切り崩しを図る」とか、少しでも良く見せるシナリオを作って実際に店舗見学を行いアピールするといった、ヒリヒリするような活動を約半年かけて行いました。
その結果、そのファンド会社から出資を得られることになり、なんとか会社は延命することができたのです。(2018年現在も、会社は存続しています)
ファンドが筆頭株主になるということは、経営者が変わることを意味します。前社長はオーナーでしたが、株の保有比率が下がったため社長を退任。臨時株主総会の後、新しい社長が、ファンドから雇われ送り込まれて来ます。
(つづく)