料理を作ればサラリーマンのうつ病は治せる!

2017年に定年退職した元サラリーマンが、自分のうつ病体験を元に「うつ病から自力で回復するためのリハビリテーション方法=料理を作ること!」について、思った事・できた事をあれこれ語ります。

「お節料理」は苦手です

 残念ながら正月も終わり。昨日の夕食は肉じゃがと納豆です(前日は餃子を焼きました)。圧力鍋のおかげで、ジャガイモが短時間でふっくら柔らかくなっています。

f:id:kenro1601b0:20190107113804j:plain

 遅ればせながら、新年おめでとうございます。皆さまは良いお正月を迎られたでしょうか。私のほうは前回12/25から昨日まで約10日間、ブログ更新はお休みし、年末年始をどっぷりと享受しました。

  しかし私はそもそも「お節料理」というものがあまり好きではありません。

私が「お節料理」を苦手な理由

 子供の頃、正月と言えば父のところに会社の部下が年始廻りに訪れるため、母が大量にひっきりなしに正月料理を作っている時期があり、毎年その手伝いに追われ、しかも年始の客は一人もお年玉をくれず、いい思い出がありません。

 メニューも酒のつまみがメインであり、保存の効く濃い味の煮物や酢のものばかりで子供の口には合わず、いつもストーブの前で日本酒の燗の番をしていましたので、酒臭く、また母が毎年何かの鍋を焦がしてしまうので、餅の焦げた匂いとも重なって家の中が全体に焦げ臭く、したがって美味しそうな香りを嗅いだ記憶がありません。

 ご飯の時間は米の飯がなく餅や雑煮ばかり。私はいつも「早くお正月が終わって、普通のご飯がたべられないかな」と思っていたものです。

 

 大人になって所帯を構え、今度は自分が年始回りをする立場になりましたが、やはり時代は変わっても基本は一緒です。家族が年に一度集まると、母が元気なころは昔と同じことをしようとしますから、いっこうにおいしいものが出てきません。また、どうしても嫁・姑問題が発生し、母がたまたまいないタイミングの台所で、妻からのクレームが寄せられるようになります。

 妻の実家に年始に行っても、出て来るメニューや質は違いますが、いくら高級品で高かったと言われても、普段食べつけないものを緊張しながら食べて、おいしいわけがありません。

 正月に知人や家族が集まって正月料理を食べるというイベントは、私にとっては子供の頃から、苦痛以外の何物でもなかったのです。

 

 気の合う二度目の妻との二人きりの正月は、自分でお節も作りませんし重箱の注文もしません。年末にデパ地下で本当に食べたいと思ったもの最小限の量だけ買い込んで、大みそかはそばを茹で、新年は刺身と練り物が中心。煮しめ(ほぼいつもの筑前煮)と雑煮だけ作り、ミニマルな食生活でした。これなら胃もたれしません。

 TVの演芸番組を見ながらコタツでみかんを剥いて、ひたすら「食っちゃ寝正月」。何年かぶりにゆっくり落ち着けた感じです。

  ちなみにこの肉じゃがは鍋一杯に作ってありますので、週末にはカレーに変貌する予定でPlanを立ててあります。 

私が漫画家を目指すのをやめた理由

  年賀状でこのブログのことを親戚や知人に宣伝したところ、正月明けから、今までより多くの方に見ていただけることになりました。皆さん本当にありがとうございます。

 その中で、「中学の同級生」さんからのコメントで昔話が書き込まれ、当時私が将来漫画家になるのではと思っていたとのことでした。

 

 ソングライターBlogのほうに、最近、手塚治虫さんのことや東映動画のことなどを書きこみ、良い年をしたおじさんが漫画が大好きで、ブログ読者の方には違和感があるかもしれませんが、私は小中学生の当時漫画が大好きで、将来漫画家になりたいと思っていた時期が、確かにありました。

 しかしある時、その夢をあきらめたきっかけがありました。 

  中学生の時(記憶では小学生の時だったかもしれないと思ってもいますが)、ある日母親から質問がありました。

母「〇〇ちゃん、大きくなったら何になるの?」

私「漫画家になりたいな」

母「あそう・・・でもさあ、漫画が売れなくてお金が無くなったらどうするの? 〇〇ちゃんお腹空いたよーってお母さんが言っても、お金がなくて食べ物が買えなかったら死んじゃうよ」

  これにはショックを受けました。

 「中学生(小学生?)の他愛ない夢を、そんなに真に受けて現実を突きつけ叩き潰そうとするとは、なんて嫌な親だろう! それに何故、次男で末っ子の自分が母と二人で暮らしている設定なのだろう? 私が母を養うなんていつ決めたんだ? その時兄や姉は何をしているんだ?」

 その時口にはせず、表面上はごまかしてその場を離れましたが、私は心の中で泣きそうになり、母に対して強い腹立ちを覚え、そして、結局漫画家を目指す気持ちがなくなっていったのです。

 

 石森章太郎先生のまねをして漫画研究会を立ち上げようとして、うまくいかなかったこともありましたし、それ以前から自分自身の能力を値踏みし「自分には才能がないな」とも思っていましたので、いずれ諦めるのは自然の成り行きだったとも思いますが、それにしても、本格的に目指す以前の段階で釘をさされたことには、大きな憤りを覚えました。

 今NHKの朝ドラで松坂慶子扮する鈴さんが、万平さんに対して「堅気(かたぎ)の仕事に就いてよ~」と言っていたのと同様、母は安定が一番だと思っていたのでしょう。

 

 それ以降、私は反発はしても、自分の表現力を信じたりその世界を目指すような気持ちがなくなってしまいました。母の思うとおりに洗脳されていたのかもしれませんね。

  「中学の同級生」さんの期待にも、自分自身の期待にも応えられず、本当に残念です。

 

ではまた。