料理を作ればサラリーマンのうつ病は治せる!

2017年に定年退職した元サラリーマンが、自分のうつ病体験を元に「うつ病から自力で回復するためのリハビリテーション方法=料理を作ること!」について、思った事・できた事をあれこれ語ります。

学食カレーで、しみじみ人生を想う

 新年から、埼玉県の大学にも出かけることにしました。

 東京から北に向かう鉄道は5方向の路線があって、横の移動も3線と、便利ではあるのですが、結構距離があり、電車の種類が普通から特急までいろいろありますし、更に最寄駅からスクールバスのダイヤが関係するため、一日に何カ所も大学を訪問しようとすると、思った時間に思ったところへ行くのはなかなか大変です。

 大学は勉強するにはとても良い、静かな環境のところが多いですね。ということは、最寄り駅があまり栄えていないケースがあります。そこで、昼食は自然と学食を利用させてもらうことが増えます。

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サラダセット ¥370

 ある大学の学食カレー。これはレトルトのようでもありましたが、なかなかいい味で結構でした。カレー単品なら320円!。素晴らしい。

 今から40年前、自分が学生の頃、学食カレーは単品120円でしたが、もっとクオリティは低く量も少なかったですね。しかたがないのでコロッケカレー160円を良く頼んでいました。カツカレーは高くて手が出ませんでした。

 どこの大学の施設もきれいで快適になり、学生さんたちはそれぞれ、屈託なく素直に勉強し、かつ青春を謳歌しているように見えます。良い時代になりましたね。うらやましい。

学生時代の暗い記憶(挫折)

 思えば、自分は当時から一人だけ屈託の塊でした。

 入試で第一志望に落ちて、滑り止めのみに合格しました。浪人して翌年第一志望にチャレンジしたかったのですが、親から言われた「来年滑り止めも落ちたらどうするんだ?」という一言に抵抗できず、「とりあえず入学して、それでも第一志望に入りたかったら来年受ければよい」と説得され、しかたなく滑り止めに入学しました。

 初めのうちは仮面浪人として学生生活を続けていましたが、やがて高校の科目より大学の一般教養課程のほうに興味が出てきてしまい、またサボりの言い訳として「どうせ親も期待していないんだし」と思うようになり、再受験は断念してしまいました。

 とは言っても、やはり入った大学のことは好きになれず、入学時のタイミングで友人を作らなかったので大学には友達が一人もおらず、やがて、選んだ学部の勉強にも疑問を感じて興味がなくなってしまいました。

 

 高校生の当時、子供じみた勧善懲悪の正義感で法学部に入ってみたものの、勉強をするうちに気づいたことは、世の中で行われている「法治」とは、必ずしも正義とは言えないということでした。

 人間社会は必ず相関関係になります。自分の正義は相手の不義、相手の正義は自分の不義でしかありません。過去の判例を読むと、国策に起因すると思われる冤罪事件がたくさん目につきますし、現行の法律を学べば「なんだそれ?」と思うことが多く、拠り所となる法律の条文も、あらゆる状況に対応できるように書かれているため、裁判官の解釈によって結論が変わって行きます。

 それはもちろん、それぞれの事情によって酌量が入るけれども、結果、そもそもの立法の趣旨とかけ離れた運用になっていると思われることが多いと感じました。

 

 例えば少年法は、太平洋戦争のあと、親が戦死し家が焼け、住むところもままならず、食うや食わずでしかたなく窃盗をはたらいた戦災孤児(現代でいうストリート・チルドレン)に対し、罪を軽減し更生の機会を与える目的で立法されたものであり、現代のように甘やかされて育った少年による凶悪犯罪や、止む終えない事情もなくゲームのように実行される愉快犯の「保護」を目的としたものではなかったはずです。

 しかし、この法律がある以上、警察も司法も適用しようとします。立法府はさっさと改正するべきなのに、国会は、日々与党の政治家個人の疑惑で紛糾を続けており、そんな与党が政権を手放すこともなく支持され続けている状況を、当時目の当たりにして、この国は「正義」を必要としていないのかもしれないと思い、無力感を感じる毎日でした。

  そして「法律」とは、結局、当事者同士の力関係の落としどころを決めるための「方便」に過ぎないのでないかと疑問が沸き、最終的に、「正義」という概念自体、幻想なのかもしれないという結論に達しました。

 私はそれで、法律に興味がなくなってしまいました。(あ、もちろん勉強ができない言い訳の要素も多分に入っていますが)

 

 結局私は大学時代、アルバイトと、学外での下手なアマチュアバンドの活動と、あとの空いた時間は音楽ばかり聴いて過ごしていました。

 100%無駄だったとまで言うつもりはないけれど、「一番大事な時期を浪費してしまった」ことは否めないと思っています。その時期にもっと見聞を広げ、自分自身をしっかり高めることができなかった。その必要性の自覚もなく、ストレス解消のため、ただただ楽しいことばかりして過ごしてしまった。それが今につながっています。

 法律に幻滅したなら、別の学部に編入すれば良かったかもしれません。今なら、その先の答えが分かっているから、やり直せるなら「こうしたい・ああしたい」と思えますが、当時は「こうしたくない・ああしたくない」ばかりで、そういうことを考える余裕もなかったかな。

 若い頃に、その年齢とライフステージにおける時間の重要性を理解し、停滞から抜け出て、将来に向け努力を重ね自分の可能性を広げて行ける人が、人生で成功を納めるのでしょう。

 自分は今更後悔しても遅すぎますが、若い人には、そのことをアドバイスできたらいいなと思います。

 学食カレー一杯で、ここまで考え込むのは少し異常ですかね。

 

ではまた