料理を作ればサラリーマンのうつ病は治せる!

2017年に定年退職した元サラリーマンが、自分のうつ病体験を元に「うつ病から自力で回復するためのリハビリテーション方法=料理を作ること!」について、思った事・できた事をあれこれ語ります。

料理を作ればサラリーマンのうつ病は治せる! 【不定期連載 第11回:私の職歴とうつ発症の事情(6)】

昨日は豚バラと白菜のオイスターソース炒めを作りました。

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 余ったブロッコリーの茎を捨てるのがもったいないので、ついでに入れています。本当は人参もいれたかったけど、前日の肉じゃがで使い果たしてしまいました。

 今シーズンは、何年かぶりに白菜が安くて良かったですね。炒めても煮ても塩漬けでもおいしい、万能野菜の一つだと思います。

  

さて、ノンフィクション物語の続きです。

 

 ある時後輩から、「一つ厄介な仕事があるんです」と相談を受けました。それは「用度品受発注システムの利用中止に伴い、その後始末をしなければならない」ということでした。私はまったく内容を知らなかったので、事情を聴いてみました。

  総務部の仕事の一つに全店舗・全部署から用度品の注文を受ける仕事があります。これは事務用の文房具からノート・伝票類、店舗で使うレジ袋・紙袋や梱包資材(荷造りひもやガムテープなど)・梱包機材(紐掛け機)に至るまで、すべてを調達する仕事で、会社の業績が好調だった当時、店舗網が拡大するに従い業務負担が増え続けた結果、総務部の数人のスタッフでは対応しきれないほどになっていたようです。

 そこで総務部では、サービス向上と作業負担の軽減・効率化のため、用度品の対応を外部の物流会社に依頼し、受注発送を代行してもらうプロジェクトを立ち上げていました。

 今で言えば「モノタロウ」とか「たのめーる」みたいなサービスですね。しかし当時は、そのような一般化されたパッケージサービスはまだない時代です。完全に当社向けに体制を整備してもらうため何度もすり合わせを行い、数年かかってようやく完成し、その年の4月からシステムが稼働したばかりでした。店舗からの評判も良く、プロジェクトは成功したとの評価だったそうです。

 ところが会社の体制が変わり、稼働して3か月もしないうちに新社長から「経費削減のため中止」との指示が出て利用が中断されてしまい、総務部には元の業務負担が戻ってきてしまいました。

 退職した前任の課長はそのプロジェクトの推進担当だったそうで、そのことで落胆したのも彼が退職した原因のひとつだったのではないか、とのことでした。

 

 私は後輩と一緒に、既に終息の合意ができていた先方(大手化成品メーカーの物流子会社)の現場を見に行きました。そこは実に近代的で自動化された仕組みの出来上がっている立派な物流倉庫で、「用度品だけでなく、本体の商品物流もお願いしたら良いのに」と思うほどのシステムが構築されていました。

 こんな立派な物流会社との取引が、全社のロジスティクス戦略(サービス向上・物流経費削減)の目線で語られることもなく、「総務部の用度品受発注管理」というレベルでしか利用できなかったことにも大きな機会損失を感じました。

 こんなことも会社が傾いた原因の一つだったかもしれないと思い、私はせっかく経営企画部門にいながら社内のそんな動きも把握できず、経営改善のチャンスを逃したのかもしれないと思い、自分の無力さを改めて痛感しました。これでは異動になるのは当たり前だったなと思います。

 

 私と後輩は2人で、半端に残った伝票や用度品の在庫を引き取って、総務部所有のライトバンに積み、自社の物流センターへ持って行って倉庫の空いている場所に格納しました。その際、古参の物流部長にも会いました。その部長は私が販売員だった頃、自分が販売した商品がどのようにして顧客に届くのか、物流や据付工事の仕組みを徹底的に教えてくれた恩人の一人でした。

 

 物流センターでは、従来からの社員が軒並み退職し、新しく中途社員を受け入れる中で、本社のコントロールによる要求が増え、ルールが変わり、相当疲れ切っていて痛々しい感じがしました。

 新参の中途社員は「物流の専門家」との触れ込みで、今までの職制にはなかった「マネージャー」という職位で配置されていましたが、これまでの我が社にはいない少し不真面目なタイプで、社内では「不文律の御法度」だった競輪・競馬の話を、休憩中に懇意の中途社員としていました。

 このとき私は、「社内の風紀がどんどん汚れて行くな・・・」という印象を持ちましたが、自分でもどうすることもできず、何も言わずに倉庫を後にしました。

  

 その後、不採算の郊外店をどんどん閉店してゆく中で、閉店の後処理に何度も駆り出されました。売れ残り商品の梱包・移動、什器の撤去、後片付け、汚れのこびりついた壁や床の掃除等々・・・。

 昔、店舗の手伝いと言えば、「新規開店の店づくりの応援」の立場から、売り場づくりや飾りつけの手伝いを行い、「開店セールの応援」の立場では、本社内での応援人員の確保から始まって、当日の人員配置、お客様の行列の整理、イベントの運営、特価品のレジ販売など、前向きな手伝いばかりで明るく発展的な仕事でした。

 それに引き換え閉店の後片付けは、それまで経験がありませんでしたが、侘しい思いで作業に参加しました。

 

 顔見知りの若い店長や店長代理は、「えっ、〇〇さんが手伝いに来てくれたんですか・・・」と絶句してくれましたが、もちろん私は「元・部長でござい」などと偉ぶることなど考えず、とにかく少しでも役に立とうと、終日精一杯作業に没頭しました。

 店舗の社員は、閉店後近隣の店に異動するのですが、遠くて通えなくなる社員やアルバイトはそのまま退職になるため、機嫌が悪く仕事も投げやりです。その中には、新入社員の時に私がレジ操作の研修講師をした若手もいて、とても残念な気持ちになりました。

  また店舗を閉めるには、大かれ少なかれ経費=損金が発生します。景気が良い時に地主をなだめて借りていた店舗の場合、「貸してくれるなら」とかなり不利な条件で長期賃貸契約をしたため、契約期間終了前の閉店により億円単位の保証金や敷金が一切戻らないケースが多くありました。(当時「戦略的出店」という触れ込みで開店した店舗)

 保証金や敷金といった「本来戻るはずのお金(会計上、資産に計上されている)」が戻ってこない場合、それは「臨時の損失(=特別損失)」として計上することになります。またたくさんの従業員が退職するあたって退職金を支給する必要もあり、多くの現金が必要になります。せっかくファンドから入った資金が「閉店のための特損の処理」にだけ使われ、新規の商品仕入や営業活動に利用できないことも心配になりました。

 

 しかしその時の私は、既に総務部の一社員になりがっており、売上高の推移も分からないし、利益が上がっているのかどうか、資金が足りているのかどうかも分かりません。それよりも毎日の自分の業務のことで精いっぱいで、一日も早く業務に慣れ、溜まってゆく一方の処理を少しでも消化することに手いっぱいになっていました。

 

 自分の業務で一番困ったことは、店舗の女子社員のユニフォームの貸出管理でした。人の出入りが激しいため、毎週のように新規の依頼が来ますが、問題はサイズによっては在庫がないことです。

 総務部の倉庫の中に、返却されたユニフォームを詰め込んだ大きなビニール袋があり、長らく未処理のままになっていました。その塊を開けて分類し、使えるものは棚に分けて保管し、汚れたままのものをクリーニングに出して準備し、在庫がない場合はしばらく待ってもらってから送ったりといった苦しいやりくりをしていましたが、いくら探しても無いものはありません。

 

 店舗からは時々「注文したのにまだ来ない」と、不機嫌な女子社員から問い合わせが来ます。その中にも、昔レジの使い方を教えたことのある女子社員がいて、矢のような催促をしてきます。

 当時新卒で、こちらの説明を「良くわからない」体で聴くばかりだったあの女子社員が、すっかりベテランになって「仕事をもっと効率よく処理したい」という意思をぶつけてくる状況は、成長した若者に触れてうれしい反面、それに応えることができない自分の境遇と、本来店舗のサポートに努めなければならない本社の状況を目前に突きつけられることであり、解決策を持たない状況に憂いが増すばかりでした。

 やんわりと社内事情を話し、「こういう時期だからね・・・」と言い訳して、謝るのみの毎日です。これは店舗を支援する本社の立場としてあるまじき、最低の状況だと思いましたが、自分ではどうしようもありません。足りない分を含め、新規発注も考えましたが、例え数万円でも費用がかかる提案などできるはずもありません。

 

 私はロッカー室の裏に作った総務部の倉庫の中で、途方に暮れる毎日でした。

 ファンドの買収が決まり、会社の運営体制が変わった後、赤字店舗はどんどん閉店し、先輩・同僚・後輩がどんどん退職してゆく中、せめて会社の行く末がどうなるか見守りたいと思って頑張ってきましたが、もはや財務状況も分からず、末端の事後処理ばかりの業務担当になり下がっては、未来がないと考えるに至り、「退職」の二文字を思うようになりました。

 それは4月から新体制がスタートした、その年の11月のことでした。