料理を作ればサラリーマンのうつ病は治せる!

2017年に定年退職した元サラリーマンが、自分のうつ病体験を元に「うつ病から自力で回復するためのリハビリテーション方法=料理を作ること!」について、思った事・できた事をあれこれ語ります。

Facebookをやめました

 昨日は妻のリクエストがあり、トマト味の煮込みハンバーグを作りました。

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 豚の赤身に玉ねぎと卵を加え、ナツメグと黒コショウを振って練って小ぶりのハンバーグを作り、両面を焼いた後にトマトスープに入れて煮込みます。

 スープはニンニクと鷹の爪で玉ねぎ・人参・ピーマン・椎茸を炒め、白ワイン・カットトマト缶・バター・固形コンソメ(ブイヨンが在庫切れ・・・)を入れて煮込み、更にいんげん・茄子・茹で大豆を入れ、ケチャップ・チリソース・塩で味付けました。食べる前にパルメザンとパセリを振っていただきます。

 味は整えましたが、初日なので肉のうまみがまだスープに溶け込んでおらず、今一歩です。挽肉を少し残してスープにも入れたほうが良かったかな。

 それと、いつも挽肉は赤身と脂身のあるものを半々で混ぜるのですが、最近私も妻も腹廻りの脂肪が気になってきており、今回、肉を赤身だけにしたのが敗因かも。さっぱりしすぎた感はあります。

 ハンバーグはまだ4個冷凍してあるので、今日以降、回を重ねれば旨味やコクが出て来ると期待しています。

 Facebookのアカウントを削除しました

  通っていた社会人セミナーが終了し、必ずFacebookを利用しなければならない理由がなくなったので、さっそくアカウントを削除しました。やっぱりどうしても使うのが嫌でした。

 削除をしても、30日以内なら復活できるみたいですね。利用を復活できる方法を説明するメールがFacebookから来ました。試しにクリックしたら元の画面が出てきましたが、やはり気に入らないので再度削除し、もう一度来たメールも削除しました。

 

 嫌だった最大の理由は、「たくさんの友達があなたを待っています」という新興宗教のような誘い文句と、何度削除しても「友達の友達」をひっきりなしに紹介する画面でした。

 どうしてそんなに「友達の輪」を広げたいのでしょうか? なかば強引に、個人の友達の人数を増やすことにどんな目的があるのでしょう?

 私はそこにどうしてもビジネス的な「魂胆」を感じてしまいます。自分がそれに乗ることで、ザッカーバーグ氏が利益を得ているのではないか? そのために踊らされようとしているだけなのではないか? そして最終的に、知らない間に地獄につれていかれるのではないか・・・地獄の窯の前まで来て「自分で選んだのだからしかたない」と言わされる場面まで想像してしまうのです。

 

  Facebookは、国内で2800万人、世界では22億人規模の利用者がいるのだそうですね。LINEもTwitterInstagramも、国内でウン千万人、世界でウン億人の規模みたいです。それぞれ機能や目的は違いますが、これらのSNSは現代人の必修科目なんですね。みんな意欲があるんだな。

  その意欲は、おそらく「ビジネスの広がる可能性」を追求したい意欲なのでしょうね。街を歩いて飛び込み営業をして、何のつながりもなかったところから自分の取引先を見つけて行く営業マンの活動を助けるために、せめて「友達の友達だから」という理由を持ち出すことで、少しでも相手の心のハードルを下げて行く、そのために考え出されたツールなのではないでしょうか。

  でも残念ながら私は、「友達の友達だから」という理由だけで、その人と友達になれるほど心の広い、メンタルの強い人間ではないのです。いくら関係性があると言われても、netの画面の向こうにいる人に対して「この人とは一生会うことはないだろうな」とか、「共通の話題を見つけられるかどうか見通しが立たないな」と思う場合、友達にはなれそうもありません。お互いが共通の話題を探す努力や、仲良くなるプロセスを経験しない限り、本当に友達と言える関係に至るのは難しいと思います。

 これがサラリーマン時代に営業で大成しなかった理由かな。

 

 せめて直接の友達が「この方はこういう人で、とってもいい人ですよ」と仲を取り持ってくれるのでなければ、受けいれる気持ちにはなれませんし、しかも過去には、友達がせっかくそういう場面をセッティングしてくれたのに、結局友達になれなかったほうが圧倒的に多かった記憶があります。

 結局私は、自分で見つけて選んで仲良くなった気の合う人としか、「友達」にはなれません。だから友達が少ないのでしょう。とんでもない偏屈な人見知りなんですね。

 

 もっと割り切って、あいまいな意思のエラーをデジタルに修正する能力に長けている人が、この流れに乗ることができるのでしょう。「そんなに考え込まないで、とりあえず友達になったことにしておけばいいんじゃないの?」と思われる方もいるでしょう。

 でも私は、古い方法論で言えば、飲み会 = ノミニケーションも苦手だし、合コンとか小料理屋、スナック、キャバクラなど、「知らないお姉さんと楽しく会話しなきゃならない場所」にもほとんど行ったことはないし絶対行きたくなかったのです。(なんでこっちが無理してその場を盛り上げて、相手の機嫌を取らなきゃいけないのだ? と思うばかりです・・・だからモテなかったんですねー)

 なにしろ考え込んで動けなくなるのが、私の一番悪い癖ですから。

 

 「SNSを利用しない」という選択は、「時代に背を向ける」ということなのでしょうね。これは死んでも治りそうもありません。

 今どきはこういう人間を「コミュ障」というのでしょうか? 自分はそんな言葉ができる前からそうですけど。あー嫌だ嫌だ!

 

ではまた