料理を作ればサラリーマンのうつ病は治せる!

2017年に定年退職した元サラリーマンが、自分のうつ病体験を元に「うつ病から自力で回復するためのリハビリテーション方法=料理を作ること!」について、思った事・できた事をあれこれ語ります。

料理を作ればサラリーマンのうつ病は治せる! 【不定期連載 第5回:私の職歴とうつ発症の事情(3)】

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昨晩はウインナー・ほうれん草炒めを作りました。ウインナーの賞味期限が切れていたのと、ほうれん草が少し安かったのが理由です。冷凍してあったベーコンの残りを入れ、にんじん・ピーマンと缶詰コーンを追加。味はコンソメ&醤油です。ほんとはバターで炒めれば良かったんだけど、この前のオムレツ、キノコ炒めで使いきってしまい、在庫がありませんでした。また買って来ようっと。

 昨日はこれに、シメサバの刺身を加えておかずにしました。

  

 さて、私のうつ病発症時のドキュメンタリーの続きです。

 

 当時私が所属していた経営企画部は、男子5人女子1人が在籍していました。しかし業績不振で賞与もほとんど無くなり(住宅ローンを抱えている身分には死活問題)、会社の体制も変わったため、行く末を案じた中堅の2名が退職しました。

 女子社員も表向きは寿退社でしたが、おそらくこれまでのような平和な環境での仕事ができないと判断したのでしょう。

 私の上には部長として執行役員がいましたが、新社長就任後、ほどなく欠勤するようになってしまい、6人いた部員は私と本社生抜きの課長の事実上2名となりました。

  その後、部署の引っ越しとともに、本社各部のレイアウト変更がありました。私は引越作業のリーダーとなり、フロア内各部署や、社長が新しくスカウトしてきた幹部の机・椅子・キャビネットの配置や、コンセントの配線引き直し、パソコンの接続・LANの配線などを引き受け、欠勤している執行役員の机も整えて出勤するのを待っていましたが、結局彼はその後一度も出勤せず、私物も置き去りにしたまま退職してしまいました。

 

 それまで我が社の本社では、部署ごとにフロアや部屋を分け、課やグループごとに机を集めて全員が顔を見合わせる形で机を配置していましたが、新社長はこの配置にも異を唱えました。

 まず壁やパーテーションを撤去。部署を隣接させ、廊下やキャビネットを置くスペースを縮小して、使用するフロア自体を減らします。窮屈になった各フロアでは、平社員から本部長まで、机を入口(エレベーター)に向けて一列横並びに配置する形に変更になりました。某大手総合スーパーから始まった、あの並び方です。

  社長曰く、「本社社員といえども、常にお客様に向き合う姿勢を意識するためだ」とのことでした。そしてお客様が入ってこられたら、仕事中の手を止めて起立し「いらっしゃいませ」と挨拶することをルールづけられました。

 私も店頭販売員の出身であり、本社社員のお客様意識の低さについては思うところがありましたので、当初は「なるほど」と思っていましたが、いざその配置で仕事を始めてみると、これは大変でした。

 

 まず、いつお客様が見えるか常に前方(エレバーターの空き閉め)に注意を向けていなければならず、注意力が散漫になって仕事に集中できません。

 また、私の場所は社長室の前でしたので、実際には、お客様(お取引先)ではなくお客様を連れた社内の偉い人とその部下に頭を下げてばかりになります。自分にお客様が来ることがほとんどなくなりましたので、結果的に社内の他部署(ほとんどが営業部や商品仕入部)全員に挨拶をしていることになり、経営企画部自体の地位が地に落ちた感で一杯になりました。

 そして最大のプレッシャーは、背後の上司からパソコンの画面をのぞき見される可能性=常に上司に監視されていることを意識しながら業務を行わなければならないことでした。別に仕事中に仕事以外のWebサイトを見ていたわけではありませんが、ちょっとした検索をするのも憚られ、ストレスにさらされることに他なりません。

  私と課長の2名は、社長室のすぐ近くに机を置く形となりました。毎朝出勤時には、各部署の部長が社長に大声で怒鳴られているのを、横目で見ながら着席します。

 私を始めフロア内各部署の社員はすべて、一日中、これまで経験したことのない緊張感と不安感の中で働くことになり、恐怖政治が始まったことを認識しました。

 2~3日して、課長までが「もう、やってられないっすよ」と言って、満足な業務の引継ぎもないまま逃げるように退職してしまいました。

 

 私は最後の一人になってしまいましたが、その時点でもまだ、自分が退職することはまったく考えていませんでした。「今までがぬるま湯過ぎたのだ。経営陣も能力不足だった。新しく「流通のプロ経営者」が来たのだし、いずれ業績も良くなるに違いない。自分は会社をファンドに売りとばした張本人の一人として見届ける義務がある。今は厳しい状態だが、社長の怒りはもっともな部分も多い。自分も精一杯努力して、新しい経営者について行こう」と考えており、この時点では、まだ「他人事」だったのです。

 

 ほどなく新社長が雇った人物が、私の上司として就任しました。聞くところによると、この方は私より5歳年下で、企画畑が長く、以前の会社でも新社長の部下として勤めていたようで、ツーと言えばカーの間柄のようでした。就任直後から、さっそく社長の特命を受けて様々な仕事をバリバリと始めます。その後新たに他部署からベテランの女子社員が異動し、3名体制となりました。

  私にもいろいろな指示があり、まず退職した課長の作っていた従来資料の継続作成を指示されました。しかしそれは長年その課長が一人専任でやっていた業務であり、副社長の特命から始まったことでもあったため、複雑かつブラックボックス的な部分も多く、本人が急に退職してしまったためほとんど引継ぎがなく、なかなか正確に作ることができません。

  次に、新しい管理資料を作ることも命じられましたが、こちらは今まで当社では一度も作ったことがない、まったく初めてのものばかりで、私には作る意図も方法もさっぱりわからない状態でした。頭を下げて何度も教えを乞うたのですが、何度聞いても理解できません。むしろ異動してきた女子社員の方が呑み込みが早く、私より社内の仕入(買掛)業務に詳しいこともあり、早く仕事を完成できるようになります。

 

 その時、以前部長待遇だった私の肩書は「マネージャー〈課長〉」でしたが、私には女子社員より一段下のレベルの仕事が割り振られました。更に今までと大きく違ったのは、上司や社長から、極めて短時間での完成を迫られることでした。

 従来ならば社長・副社長や執行役員からの指示は、中間報告をしながら翌日、翌々日頃に完成していれば良かったのですが、新体制では午前中の指示で午後一番に報告、場合によっては1~2時間後に報告を迫られるようになり、私にはその時間に仕事を上げることができませんでした。資料作成のためのデータの収集方法も計算方法も、ほとんど分からなかったからです。

 

 私は毎日必死で仕事と取り組んでいましたが、自分でも明らかに能率が落ちていることを自覚し、次第に細かいミスも侵すようになり「なんとかしなければ」と、焦燥感ばかり肥大していました。

 しかし上司の監視は更に強くなります。ある日新しい管理資料(Excelの表)を作っていると、突然パソコンの画面の右下にskypeのチャットのメッセージが表示され、「まだですか? 何時までに提出できますか」と催促を受けました。私は驚いて思わずパソコンから顔を上げ、左側を見てしまいました。そのとき上司は、私のすぐ隣の席に座っていたのです。

  しかし彼はこちらに目を向けません。しかたなく私はパソコンから「あと2時間ほどいただけますでしょうか」と打ち返します。すると、「分かりました。2時間ですね。急いでください。ところであなたは、いつも椅子に深々と腰かけているけれども、それじゃ能率が上がりませんよ。前側半分くらいに腰掛けて背筋を伸ばし膝を立てて、社長から呼ばれたらすぐ立ち上がれる体勢をとってください」と、坐り方まで事細かく指示されてしまいました。もう私は身動き一つ自由に取れません。

  私は入社以来最大のピンチに陥りました。仕事のやり方が分からず、ケアレスミスばかり起こし、ただ毎日時間ばかりかけている状況で、夜9時10時11時と、退勤時間もどんどん遅くなるようになります。上司も隣で残業していますが、「まだ終わらないんですか?」と言われながらの作業では、落ちついて確かめながらやることもできません。

 

 ある日、上司に聞かれました。

上司「どうしてこんな簡単なことができないんですか?」

私 「すみません。今までやったことがないもので、考え方ややり方が分かりません」

上司「あなたの今までの上司達から、教わっていないんですか?」

私 「はい。申し訳ありません。」

上司「そうですか・・・。ということは、こんなこともあなたに教えなかった、あなたの今までの上司は、まったく何の能力もない人だったんですね!」

   この一言は応えました。自分の無能さを責められるのは仕方がないとしても、自分が尊敬していた、自分を育ててくれた恩のある上司達全員を、欠席裁判でののしられるなんて・・・。「仕事の仕方が悪かった」というならともかく、「その人自身の能力が欠けていた・適任ではなかった」と言われたことは、自分でもうすうす思っていた部分もありましたが、それでもそれぞれがエキスパートと言える人ばかりでしたから、ほんの数日前に入社したばかりの人に、そこまで言われるのは大きなショックでした。

 私の中で何かが弾けてしまったのは、この一言がきっかけだったように思います。

  

 その後しばらくして、私の体に異変が起こりました。

 

 まず、夜、眠れなくなりました。12時過ぎに寝込んでも夜中2時3時に目覚めてしまい、そのあと眠れないまま朝を迎えるようになります。食欲は全くありません。いつも神経が興奮しています。

 眠れなくても朝になれば会社に行こうと、いつもの時間の満員電車に乗りますが、途中で気分が悪くなり眩暈がし、途中下車を繰り返すようになります。トイレに駆け込んだり、駅のベンチに腰かけて回復を待ちますが、20分たっても30分たっても、なかなか元に戻りません。

  しかたなく上司に電話をかけ遅刻を伝えます。遅刻をして出勤すると、相変わらず目の前で、どこかの部長が社長からものすごい叱責を受けており、また吐き気がしてきます。体調が戻らないときはそのまま臨時休みを願い出ますが、上司はその都度嫌味を言うので、ぎりぎりまで電話もできません。

  そんな日が1~2週間も続いたでしょうか。そしてついに「その日」がやってきました。

 

 いつもの時間に電車に乗り、なんとか会社の前までやってきました。目の前の信号を渡って、あと10mほど歩けば、すぐその先が会社のビルの入り口です。

  しかし、その信号が渡れません。会社へ行けば何が待っているか、想像できます。それが嫌で、怖くて、頭では何度も「行かなくちゃ」と思っているのに、足が前へ出ないのです。

 青信号を10回以上見送って、9時直前、私は上司に休ませてもらうよう、電話を掛けることにしました。その時上司は「わかりました」と言うだけで、特にコメントはありませんでした。

 

 電話を切って、私は「今日はこれからどうしよう」と思いながら、あてもなく街を歩きました。会社の最寄駅から一つ手前の駅を通り越した交差点の角で、何気なく空を見上げると、「心療内科クリニック」の看板があるのを見つけ、「ああ、そうか」と思い入ってみました。

 しばらく待って医師と面談し、これまでの経過や今日の出来事、今の気持ちを正直に伝えました。最後に、「私は・・・いわゆる、うつ病なんでしょうか?」と聞きました。すると医師はこう言いました。

 「重症と言うほどではないけれど、決して軽いとは言えませんね」

 

(つづく)