料理を作ればサラリーマンのうつ病は治せる!

2017年に定年退職した元サラリーマンが、自分のうつ病体験を元に「うつ病から自力で回復するためのリハビリテーション方法=料理を作ること!」について、思った事・できた事をあれこれ語ります。

料理を作ればサラリーマンのうつ病は治せる! 【不定期連載 第4回:私の職歴とうつ発症の事情(2)】

 昨日はポテトサラダを作りました。味付けはブイヨンがベース。ハムではなく魚肉ソ-セージを入れ、粒マスタードとレモン汁、胡椒とパセリを効かせるのが私のこだわりです。

 自分で作ると安くて好きな味にできて、しかもたくさん食べられて、いいですよね。近くのスーパーでじゃがいもが1個25円だったので、6個で150円。毎日食べても1~2週間は持ちます。

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 では前回の続き。

 

 新しい社長は業種としては畑違いでしたが、流通業界では有名な人物でしたので、私は大いに期待していました。

 それまでのオーナー社長は、世襲のせいかあまり商売が得意な人ではなく、また業種にもそれほどこだわりがないようで、取引先や出入業者の提案に乗ることはあっても、自発的に外部の思想やシステムを選んで導入することには消極的で、チェーン店の仕組みの改善や開発によって効率を上げようという発想がなく、そのくせ「もっと粗利が上げられないのか」とぼやくばかりの人でした。

 

 私はマーケティング関係や社内運営ルールなど、いろいろな情報を集め、何度か改善提案を仕掛けていましたが、力不足と既存部署との軋轢もあり、ブレイクスルーを生み出すことができないままジレンマを抱えていましたので、経営不振がきっかけであるにせよ、新たに「流通のプロ」的な経営者がやって来るというのは大歓迎で、「ついに我が社にも、正しい経営が導入される・・・」という期待が膨らんでいました。しかしそれが、自分を含めた会社全体に「地獄を招く」ことになるとは、考えていませんでした。

 もちろん、それまでのだらしない慣例が正されると予測し、自分も含めて勤務態度を改める必要があるとは思っていましたが、どれだけの努力が求められるのかについては、楽観的に考えていました。

 

 まず大きく変わったのは朝の出勤時間です。社長が交代する前、店舗は朝10時開店でしたので、店舗の社員は9:30出勤18:30退勤。ただし閉店が19:30でしたので毎日1時間は半強制的に残業となります。私は店舗にいた若いころ、修行のつもりで閉店後のレジ締め、店の戸締り~売上現金の夜間金庫投入まで立ち会っていましたので、毎日退勤は20:30~21:30頃でした。

 本社での出勤時間は9:00、退勤は18:00でした。しかし社長や役員は毎日9:30~10:00頃に出勤します。もちろん平社員は毎日9時前に出勤していますが、本社の部課長は残業がつかないこともあって、出退勤のタイムカードも押さず、役員に合わせて9:30頃に出勤し、平社員が帰った後、店舗が閉店する時間頃まで残っているのが「慣習」でした。

  まだ「キャノンの早朝会議」を紹介する本やサラリーマンに早起きを奨励するようなビジネス本も出ていない頃で、多くの会社にとってそれが普通の運用だった時代です。しかし私は本社に異動になった当初、通勤に1時間と少しかかりましたので、朝の遅さに助かると思う反面、毎日定時に遅れて出勤することには違和感を持っていました。

 

 さて株主総会の後、新社長が就任するや「自分は朝7:00には出勤する」という宣言がありました。そして各部署の部長(または課長)に、「毎日必ず前日の報告に来るように」との指示が出ました。

 社長は出勤後、朝10時前には店舗視察のために外出し、夕方には直帰してしまいますから、自ずと各部長は朝10時までの間に報告を終えなければならず、社長室の前での順番待ちの時間と自分の行動予定も考えれば、自然と朝7時出勤にならざるを得ない状況となります。

  また報告に当たっては「フォーマットを配布するので、それを利用して報告書を書いて持って来なさい」という指示があり、その報告書に基づいての説明を求めました。

 

 新社長はこれまでの当社の状況をあまり理解していなかったため、何かの報告を聞くたびに「なんでそんなことをしているんだ」と激怒します。店舗で事件やクレームが起きた場合など「この会社はいったいどうなっているんだ」「どうしてそんな対応をしたんだ、常識がないのか」と叱責されますが、部課長にしてみれば、「今までと同じパターンで処理しているのに何が悪いんだ」「その時その担当者がやったことを聞かれても答えられない」との思いがあり、ただ怒られに行くだけの報告になっているケースがほとんどでした。

 当初、自分の部下に報告書を作らせていた部課長は、「説明が不明瞭だ・報告書の内容と説明が合っていない」と叱責を受けることも多く、しかたなく自分で報告書を作るため、パソコンに向かわなければなりません。

 今から10年以上も前のこと、パソコンが使えない部課長もたくさんおり、やっとの思いで報告書を作っても、内容説明に入る前に今度は「報告書の書き方がなっていない」と激怒されてしまいます。

 

 各部課長は、前日の出来事の報告で、まず朝一番から新社長に怒鳴られ、その改善のための業務を行い、そして今日一日の業務の後、店舗の閉店時間近くに現場の店長と連絡を取り、閉店後の時間に事務所に残り、かすむ目をこすりながらパソコンと向き合う姿が目立つようになりました。

 これは各部課長にとって、ビジネスの基本を叩き込まれること=これまでの「ぬるま湯」からの脱却を求められることでしたが、見方を変えれば、同時にあきらかな「突然の労働強化」だったのです。

 

 当時の各部課長はほとんどが店長上がりでしたので、地方から本社に通勤している者も数多くおりました。これらの労働強化が行われた結果、通勤に2時間以上かかる者は、朝、始発で通勤し、夜は終電で帰宅する毎日となります。

 しかも部課長ですから残業代はつかず、残業自体も事前申告制に変わっていましたから、部署の長として経費増を申告することもできず、終電後のタクシー代まで自腹となるなど急激にストレスが発生し、若い課長の中には、家庭不和をぼやく者や「店舗にいたほうが良かった」と言う者も多発しました。

 

 その結果、地方から抜擢された、次代を担うはずの優秀な30代の若手から、次第に退職してゆくことになります。後で気づきましたが、これが「費用を掛けない人員リストラの方法」だったのだと思います。

 そして、私にも同様の労働強化とストレスが襲ってきました。

 

(つづく)