料理を作ればサラリーマンのうつ病は治せる!

2017年に定年退職した元サラリーマンが、自分のうつ病体験を元に「うつ病から自力で回復するためのリハビリテーション方法=料理を作ること!」について、思った事・できた事をあれこれ語ります。

料理を作ればサラリーマンのうつ病は治せる! 【不定期連載 第9回:私の職歴とうつ発症の事情(5)】

 先日は豚肉の生姜焼きを作りました。私はどうしても野菜がたくさんないと満足できないので、結局タマネギ・茄子・ピーマン・ブナシメジを入れ、「生姜焼き風野菜炒め」となります。しかも生姜焼きは必ずキャベツの千切りがほしい・・・。というわけで、大量の生野菜も必要です。

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 味付けは、定番の酒・みりん・醤油に、コチュジャン味ぽんを追加しています。

副菜はかぼちゃのそぼろ餡です。しょっぱいのと甘いのでご飯が進みます。

  

 さて、最近滞り気味のノンフィクションの続きです。今から12年以上前のこととは言え、いろいろなことを思い出してみると、だんだん当時の嫌な感情がよみがえってきて、気分が落ち込んできます。そのため、キーボードを打つ手も滞りがちになります。

  うつの真っただ中にいると、同じ「嫌な経験の記憶」を何度でも反芻してしまい、それが原因でそこから脱出できなくなってしまうんですね。ですから、回復したのならあまり思い出さないこと、すなわち「危ない場所(記憶)」には二度と近づかない(思い出さない)ほうが賢明だと思います。

 思い出したくないことを意思に反して何度も思い出してしまう時と言うのは、脳の働きがおかしくなり、思考停止している時期なのでしょう。お気を付けください。

 

(前回の続きから) 

 総務部長・課長との業務引き継ぎは、ほぼ3日間で終わってしまいました。2人とも朝から夕方までの一日の時系列で、行動や事務処理の方法を説明してくれたのですが、紙のマニュアルがあるわけではなくすべて口頭での説明でした。

 自分でメモを取るには取りましたが、熟知している人の説明に対し、全く予備知識もない自分のメモのスピードが追いつくはずもなく、後で見返してまとめようにも、何のことだかわからないメモが残るばかりでした。

  説明は2~3回繰り返してはくれましたが、体験できることには限界があり、私としては「満足な引継ぎ」とは程遠いものでした。そして時間はどんどん過ぎて行き、彼らは予定通り有給休暇の消化に入り、そのまま退職して行きました。

 

 総務部には旧知の後輩もいましたので、何か分からないことは後輩に聴けばよいと思っていましたが、後になっていざ聴いてみると「仕事は個人で分担していましたから、私は課長や部長がどんな仕事をしていたかは知りません」と言います。更に「それよりも、今までは自分の仕事を課長や部長が手伝ってくれていたので、今後は〇〇さんが手伝ってくれるんですよね?」と言われてしまいました。

  私は異動に際し、いつの間にか役職名もなくなっていました。つまり責任者でも管理職でもないただ「年上の後輩社員」に過ぎない立場で、部内業務の知識がほとんどない初心者であるにもかかわらず、「社歴が長い=何でも知っている・何でもできる」前提で、部長や課長の仕事を一手に引き継ぐこと、および後輩の援助まで要求されてしまったのです。

 

 さてそれからは、再びストレスとの闘いの日々が始まりました。

  

 前任の部長から引き継いだ業務の一番目として、朝は新社長が7時過ぎに車で出勤するので、それまでに1階にある駐車場のシャッターを開けておくことがありました。通勤時間を考えると、私は朝5時半には家を出なければなりません。(新社長は会社の隣の駅近くに住んでいたので、通勤時間はわずか5分です)子供達の世話で忙しい妻を5時前に起こすわけにもいかず、朝食も取らずに出勤します。

 シャッターを開けて新社長を迎えた後は、誰もいない駐車場で車に羽箒をかけ、床と玄関前の路上の掃除をし、その後業務を開始します。

 

 私は管理職2人分の仕事を引き継いだわけですから、まず圧倒的に業務量が多くなりました。

 一例として、毎日大量の郵便物が届き、その仕分けや開封・内容確認だけでも、多くの時間を取られます。総務部宛の郵便の大半は、保険やリース料金の毎月の自動引き落としや契約終了・自動更新の連絡ばかりでしたが、それが正しいのか間違っているのか確認する暇もありません。

 更にひとたびイレギュラーの連絡が来ると、どうして良いかも分かりません。後輩も本部長も「分からない」というので、私は相手方に問合わせるしかありませんが、相手先も「発送業務を代行しているだけです」との回答で、ますますわかりません。

 結局担当営業マンに聴こうと電話をしても、担当者は外回り営業で不在。後で連絡が来ても今度はこちらが不在で、話がなかなか進まないうちに時間が立って次の郵便が来てしまう。連絡が来ても自分が他の業務にかまけていると、時に問い合わせの内容すら忘れる・・・といった悪循環で回るようになります。

 

 もちろんほかの業務も山のようにありますし、後輩の応援も求められるままに行うと(本当はこっちが応援してほしいくらいでしたが)、定時の6時で帰ることなど到底できず、毎日夜8時~9時・・・(後輩たちは自分の仕事が終われば7時ころには退社します)

 私は朝7時から出勤していますから、その時点で勤務時間は14時間ほど。しかも役職上は平社員にもかかわらず、従業員としての等級はそれなりに上位だったので、早出・残業代もつきません。

 うつの原因になった前の上司とは直接の上下関係が切れ、顔を合わせることはほとんど無くなりましたが、その代わり更なる労働強化にさらされ、睡眠不足による疲労と、業務の知識が乏しい中で、正解も分からず形式的に処理している消化不良感、問題があっても見つけられない・発覚しても対処できないであろう不安に苛まれ、疲弊して行きました。

 

 何日か経ってうっかり朝寝坊してしまったことがありました。走って駐車場に行くと、新社長は既に出勤していて、自分で車に羽箒をかけています。

 私を見かけると叱責することなく「〇〇さん、私も鍵を持っているから、無理しなくていいですよ」と、妙に優しい言葉をかけてくれます。しかし態度は「お前なんか目障りだからもう来なくていい」という雰囲気でした。

 私はまた大きな敗北感に襲われました。過去にはファンドの窓口をやっており、新社長を受け入れる窓口担当をやっていたのに、今や新社長は目も合わせてくれません。自分はもはや完全に見限られ、眼中にもない立場にいることを自覚しました。

 

 それ以来、開きなおって朝7時出勤は自主的にやめました。もともと前任の総務部長も、立場上意地で、でもあわよくば気に入られようとやっていた節があり、その部長が退職した今となっては、特に維持する必要もありません。そもそも新社長は一人で入場できますし、私が休みの日はやはり誰も出迎えていないわけです。

 それでもし「何やってんだ、出てこい」と言われるなら、その時は出ようと考えることにしました。妻からも「朝5時出勤は何とかならないのか」とクレームがついていましたし、そうしないと身が持たないと考えたからです。

 

(まだ続きます)